令和4年度少年の主張福岡県大会
令和3年度少年の主張福岡県大会
次の時代を担う県内の中学生が日頃考えていることや意見を発表する「第44回少年の主張福岡県大会」は、令和4年9月4日、新型コロナウイルス感染症拡大の中ではありましたが、2年ぶりに大会会場(筑紫野市文化会館)にて実施しました。当日は、発表者や関係者合わせて153名が参加しました。
☆★☆令和4年度「福岡県知事賞」受賞おめでとうございます☆★☆
令和4年度少年の主張福岡県大会 福岡県知事賞作品
令和4年度少年の主張福岡県大会
福岡県知事賞作品
「世界に光を届けたい~日系四世ルーツをたどって~」
「残すべきもの」
飯塚市飯塚鎮西中学校3年 宮城 ひかり
飯塚市飯塚鎮西中学校
宮城 ひかり
「ひかりLevantate rapid! ハヤク!ハヤク!」
日本語交じりのスペイン語で私の一日が始まります。私の両親はペルーの日系三世です。「日系人」とは、日本から外国に移住し、その国の市民権を得ている人と、その子孫のことを言います。父も母も、ペルーで育ち、ペルーの学校に通ったため、スペイン語を話します。働くために日本に来て三十年になりますが、いまだに日本語はとても難しそうで今も勉強を続けています。一方、私は日本で生まれ育ち、日本語に不自由しませんが、困っていたことがありました。それは、自分自身、どこの国の人間なのかアイデンティティーがよくわからなかったことです。なぜなら私の見た目はいっぷう日本人ですが国籍はペルーで、両親も私も日系人・・・。なんとなく「日本人のふり」をしているように感じていたからです。私は一体何者なんだろうという疑問が頭の片隅にいつもありました。
そんな時、母と一緒にペルーへ行くことになりました。私にとって初めてのペルー。成田空港からメキシコへ、メキシコからペルーへと、飛行機の旅も到着まで二日間かかりました。空港を出ると、ガソリンのような臭いと、ごった返す人と車、そして暑苦しさに私は包まれました。空港から祖父母の家へと向かっている時、信じられない光景を目の当たりにして、言葉を失いました。土ぼこりの舞う道路を幼い子どもたちが花やお菓子を抱え、車に乗っている人たちに売り歩いているのです。ペルーは経済的に発展しているとは言えず、家族や生活のために働く子どもたちがいることも問題となっています。
ペルーに滞在中、母の提案で、いとこと一緒に現地の学校に通いました。そこで出会った人たちは、人懐っこく、親切で、笑顔が素敵でした。一緒に遊んでくれたり、スペイン語が苦手な私を身振り手振りで助けてくれたりしました。私を「外国人」とか「日本人」とかではなく、「友達」として受け入れてくれました。ペルーという国を、いい国だなと心から思えた瞬間でした。
ペルーへの里帰りがきっかけで、両親から私につながるルーツを教えてもらいました。当時沖縄に住んでいた曾祖父・曾祖母は、ペルーで豊かな生活ができることを信じて、戦争から逃れるように十代で日本を離れました。しかし、現実は、農業を始めるために購入した土地が奪われたり、日系人であることで差別されたりと、ペルーでの生活は苦労の連続だったようです。母も、日本での生活について話してくれました。見た目は日本人なのに日本語が上手に話せず、差別と感じる辛い体験もたくさんあったそうです。そんなときも泣きながら日本語を勉強したという初めて聞く話に胸が苦しくなりました。なぜなら、私は、日本語が苦手な両親のことを友達や周りの人に知られるのを恥ずかしいと思っていたことがあったからです。でも今では、一生懸命に日本語を覚えようと頑張る姿や、苦労を見せず明るく前向きに生きる両親の姿は、私の誇りです。
私はペルーでの経験がきっかけとなり、貧困の中で一生懸命に生きている海外の子どもたちをボランティアとして支援する夢ができました。そのために、海外へ留学し、たくさんのことを学び、世界的視野や公平公正なものの見方を身に付けていきたいと考えています。
私の曾祖父、曾祖母が人生をかけた選択をし、苦労しながらも誇りを持ち続けて生きてきました。私の「ヒカリ・カロリーナ・ミハシロ・チネン」という名前にはそのルーツと受け継がれた絆と愛が詰まっています。私は大好きな日本で、日系人として、優しく、たくましく、誇りを胸に世界中に「ひかり」を届ける人生を歩んでいきます。
「祝いましよっ!もうひとせっ!祝うて三言!!」
これは私の住んでいる地区で行われる祭、獅子打ちの掛け声です。8月2 5日の早朝、赤と黒、それぞれ二体ずつの獅子の頭や手作りの御幣を持った子供達が、悪疫を退治し邪気を祓うとともに五穀豊穣を祈って地区内の家をまわります。
私達の使っている四体の古い獅子の頭は、明治5年に奉納されたものです。赤い獅子は雌、黒い獅子は雄で、大きい獅子はランドセル程の大きさです。手に持った獅子のロを開け閉めして音を鳴らします。田主丸の歴史が書かれた本によると、獅子打ちは平安時代の中頃の延長時代から続いてきたそうです。私は小学生から昨年の中学2年生まで、この祭に参加してきました。
地区の祭は獅子打ちの他に、中秋の名月の夜に懐中電灯と大きな袋を持った子供達が一軒一軒家をまわりお菓子やお芋をもらう芋名月や、1 1月3 0日に出雲から帰って来る神様をお迎えするために火を焚く、堂籠りという祭があります。
獅子打ちの準備では、まわる家に配る御幣を作ります。堂籠りの準備では火を焚くための木を集めたり、お宮をきれいにするために落ち葉を掃いたりします。堂籠り当日は、お堂の拭き掃除をし、お参りに来た人にお神酒やいりこを出しました。年の違う近所の子供達が集まって何かをすることはあまりないので、協力しながら準備をするのは、とても新鮮で楽しく感じていました。毎年各行事で地区の人達と顔が合せられるので、交流が深められ、コミュニケーションを学ぶ場でもありました。
しかし、今年は大きな変化がありました。獅子打ちと芋名月は休止になり、堂籠りは実施できるのか分かりません。その原因はコロナウイルスではなく、少子化によるものです。少子化によって伝統的な文化が無くなろうとしています。文化が無くなってしまうと、獅子打ちの掛け声はきっと忘れられてしまうでしよう。それどころか、地区の人達との交流も減って孤立する家庭が増えてしまったり、子供のコミュニケーションを学ぶ機会が減ったりしてしまいます。
今、私の住んでいる地区には中学生のいる家は6軒ありますが、小学生がいる家は1軒しかありません。子供が少なくなったことにより、小学生を主体として行われてきた行事が無くなる現状に テレビや新聞で報道されている少子化問題がグッと身近に感じられました。
少子化により、文化が守られないという問題は日本各地で起きていることだと思います。私は少子化問題のことを真剣に考えるようになりました。少子化の対策は、もっと真剣に大きな社会問題として取り上げなくてはなりません。少子化、人口減少により、失うものの中には残していくべき宝があるからです。
私が参加している祭は、博多祇園山笠などのように誰もが知る有名な祭ではありません。しかし、幼い頃から親しんできた伝統的な思い出の詰まった行事です。無くなってしまうのはとても残念で悲しいです。
少し希望が持てるのは、二つの祭が廃止ではなく休止だということ、復活させることができるということです。「またいつか、復活させてほしい」という地区の人達の想いが感じられます。
私は大人になったら、行事の経験や知識を生かし、地区の祭を受け継いで復活させます。再びあの掛け声が元気に響くように。
「祝いましよっ!もうひとせっ!祝うて三言!!」
令和4年度少年の主張福岡県大会受賞者一覧
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